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序章

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 この10年来幾分なりとも私が巻き込まれてきたインテリアデコレーションはどういうわけかデコレーション自身を超越して、金の浪費と見せびらかしとレースに溺れて、ただ単に厳粛な事柄となってしまったように思える。Somersetの私たちの息抜き場である古い教会補修の時に最初に私たちに課せられたことは初歩的であり、必要性が無く、洒落ていないままにしておいて欲しいとのことであった。一方で私たちは必要最小限で妥協したわけではなかった。私はこの本に掲載した写真のように必要最小限を楽しんだ。実生活でも私は動物的なの快適度が好きであり、快適な座席、ストーブ、シェルフやカップボード、お気に入りの絵、冬の長いドライブの後にほっとする簡単な家庭的な物などを私たちの広くシンプルな空間へ密かに運び込むゲームをしている。
 この教会は週末の避難場所であるが、私は海辺の小さなDorsetという小さな田舎町に8年間現実に住んだことがある。それらは信じられないほどエネルギッシュな日々であり、パスタやロールパンを作り、椅子の間に置くラベンダーの瓶を織り、フランス語でdouceur de vivreと言う良い人生の秘訣を確信した。私は季節の移り変わりの大切さも学び、暗く灰色で煙が立ちこもる冬の長く苦しい期間を忍耐の言葉でこらえ、2月末にプリムローズが急な丘に電池を交換したようにあまりに新鮮にポツンポツンと見えた時、精神が錯乱した様な気になった。
 ここ10年来はがらっと変わった生活だった。私は今ほとんどをロンドンの細い路地から歩いて5分程のbengali村にすんでおり、夜にはNat West塔のきらめく柱が左に見え、右手にはナトリウム灯の夜景にSpitalfieldキリスト教会のHawksmoor作のオベリスクが突き刺すように見える。むく鳥の住民はWhitechapelのgingerbread mosqueから祈祷時報係交替の丁度数分前に流れるスピーカーで夜明けに追い払われ、私が朝外へ出る時の空気はBrick通り辺りの沢山のsamosa肉の切り身からのようなコロハの芳香で満たされている。
 5年くらいこのほとんど都会の環境で執筆をしながら家庭的に過ごした後、緑が一杯で自然のままで田舎の場所にもしも息抜き場が無かったら私は粉々に吹き飛んでしまうだろうと絶対的な確信にたどり着いた。病気の汚い発作はその点を家庭に追いやった。Bathから数マイル離れた離れた急傾斜にWestburyの白い馬が跳ね回るMendip丘の間の低いLaverton村の古い教会は、ある運命のパターンを私たちに見せ誘惑させた時、その危機的瞬間を私たちの心に呼び起こした。私はその家が売り出し中だとは信じられなかった。私たちはWest Countryの不動産屋へ行く必要すらなかった。友達の友達はその教会が売り出し中であることを聞き、それが気に入り補修と言うよりほとんど再築くらいお金をかけた彼女の友達の話しをした。建物はかつて外壁に刻まれた年号によれば1939年にBaptist教会として地方のgrey-blondeの石できちんと、コンパクトで、小奇麗に造られていた。それを数十年前にファッショナブルに彼女が改築したのだ。Irmaが教会を見つけた時、それは地主の農家が物置として何年も使っていた。エレガントな上が丸いジョージアン窓は粉々に割れ、屋根のタイルの隙間から光が差し、木の床は腐り、近接した墓地ではセメントのみっともない小道に2分されていら草が蔓延る中で墓石が傾いていた。水や電気、下水設備もなく、ただ朽ちた信者席のある木の傍聴席がある石の外壁と、かつて教室でもあった聖具室が片方に付いているだけであった。しかし轍のある小道は過ぎ去り、その上に縮れた樫とぼんやりした松が隠れた流れに根を下ろし、穏やかな牧草地のカーブがある。Irmaはそれがあまりに気に入ったため私に電話した時はほとんど泣きそうな声であり、もし何とかして手に入れられるなら死んでもいいと言った。怒りっぽいBrooklyner、彼女は改良した不動産屋の冷たい感じ、中庭とガレージの思い、Baptistが讃美歌で満たしたそびえ立つスペースを後に分離して普通の家にした事を杞憂した。
 私は最初教会跡を粗野に感じ最初はそんなに好きでなかった。灰色の日、鋤で耕す畑の端に捨てられ、それは私に実用的で、その場所の厳格な小さな箱、そして冷たい場所に捨てられた貧弱で孤独な墓地にしか映らなかった。しかし数分後私にある計画が頭をぐるぐる巡り出した。墓地のここに木を植え、石張りをし、ハーブを植えて、この後ろのドアからはお客を入れて....。そして私は知ったこのSomersetの古く、忘れ去られた、穏やかな小作品は私に心の避難所、Dylanの隠喩を少し散りばめたような、緑が良く土を被せられる場所だとつま先まで確信した。
 私は近代的な建築家と生活をしていて、教会の改装はリチャードと私が手がけた最初の共同作業だった。私は激しい議論を予感し、その通り私たちは議論をしたが、それは予見できる程度であり、危機的な議論はなかった。私たちは例えば教会の空間を無傷のままにすることで合意した。これはベッドは傍聴席から片持ち梁式に外に出し、メインスペースの部分を残すという意味である。プライバシーは無いが、それは沢山ドアと部屋があり誰が何処にいるか分からないままほとんどの時間を生活することからの転換であるオープンプランの生活へ身を浸し爽やかになる。そして天気の良い朝には教会の反対側の壁12フィート高のアーチ窓を通して朝日の丸い形で目覚めるのは完璧である。彼の広く点在する土地の世話をするためにいつもトラクターをガタガタいわせながら、高い席から白い歯を見せてちらりと見ていく隣人のBrian RossiterによればDuch Elm病はSomersetのこの地方を裸地にしたそうである。しかし幸運にも地平線には一対の高く茂った木が残っており、私が怠けて枕から外の世界を眺めると、アーチ窓の上の部分にきちんと収まるようになっていた。
 当初のBaptistが変更した両側に雑に床面に開けられたドアをどうするかについての最初の潜在的な戦いは流血を防ぐための交渉みたいなものであった。現存する伝統的な教会の窓割りは壁のはるか上から傾斜して光が射し込み、あたかも井戸の底に居るような感覚を与え、挫折的に田舎から切り取られたような感じがするものと私は確信している。私は高いアーチの窓が床の高さまで続く一対のフランス窓を想像した。しかしリチャードの思いはもっと精力的なデザインに挑戦し、その結果教会には現在2つの優雅なVanbrughのような戸口がある。それはがれきと石ころが一杯のくぼ地に続き、いつか日陰を好む植物でずぶぬれになるカーブした石の座席がある石畳の半円形のテラスにしたいと思っている。
 一方地元の建築家が本当に得意とする所は、あの元気良く優雅な後期Georgia的な窓割りと干渉することなく、3つの寝室、たとえ小さく変わった形になっても小さなバスルーム、そして部屋は小さいが非常に高い聖具室へと続く、建築的なparlanceでは玄関と呼ばれるものを詰込む工夫をした点であった。リチャードの解決法は厳かなこの小さな建物の主な美点を残しており、巧妙な転換によって部屋は、光にもまれ、春には小鳥が忙しい往復便のように飛び交う小路を横切る木々が丁度見える高窓に偶然出会った。私たちはVanbroghの戸口やかつて改築した人が使っていた12フィートの煙突がその延長で心地よい熱を発する古いデンマークの鋳鉄製ストーブを置いて、教会の主な部分をすっかり宗教色のないものにしてしまった。
 しかし思いがけず建築的策略は改装した聖具室に冥想的な平穏の雰囲気を魔法で出した、それを私たちは説明できない理由による別館と呼んでいる。1階のダブルベットと箪笥がかろうじて収まる細長い寝室は最も風変わりな部屋であり、天井がベットの一端は低くから逆側の大きな窓いっぱいの高さ迄ぴったりと飛び上がり、それは我々を守るオークのシンプルで穏やかな田舎の眺めにより引き起こされる本来の平穏さとは違う。
 彼自身は知らないかもしれないが、リチャードは多分白い壁と最小の家具に熱中していたのかもしれない。私はイギリスの白い壁、特に私たちの穏やかな気候合わない牙の輝きを持つ明るい白は我慢できない。仕事上の妥協は私が色をちょっとだけ加えたことである。教会の装飾は労力の破裂になり、人が競争し熱心になり落胆に陥る時、簡単に仲良く流れていく微妙で、直感の領域そのままの色が時々上手くインスピレーションを与えられ、時々はそうならなかった。しかし私は今装飾キットの商売をしていて、私たちの色を変える公式の解が見つかった時には教会は心に無い。しかしその素朴な素材感の純粋な色の組合わせはまさに私がそれらクリアな空間が必要とする、透明なフレスコ画の見栄えである。私が小さな寝室で使った空の青は私に非常な満足を与える。イギリス人は青を冷たい色として避ける傾向があるが、この半透明でかすかに緑がかった色は部屋に上品な荘厳さを与え、たまに泊まる親戚や友人を和ませる特別な雰囲気をもたらすことを私に期待させる。
 私が最初にデコレーションが好きになったのは遊覧船の絵であり、それからアメリカ民芸、そして後に色と素材感とtrompe I'oeilの使い方でスカンジナビア地方の装飾品に素直に魅せられた。私たちは教会に民族性を出そうとはしなかったが、いくらかある種の幸福な雰囲気は多分保てた。なぜなら田舎のインドの素材感、色そして柄は私たちの素朴だがまったく違う背景にいともたやすく溶込んだからである。しかし新しく住みやすいラタンを使った3つの続き部屋は別として、全てのインテリアは白い象やロンドンの家ではめったに見かけないフリーマーケットで買った品々など、私が手塩にかけてデコレートした。建物全てにかなりのお金を費やしたので、それはほとんどお金を使わずひらめきで作ったのが誇りである。ゲームは共通点のないがらくたたちを視覚的や実用的に組合わせ、完璧とは言えないものの、これを達成するするのは楽観的に着色の効果を楽しむ、言い換えれば、布を仕舞った引出しの鍵がついに見つかったような頭の衝撃を楽しむ挑戦である。私が最も思う出会いは、大理石の奇妙さを活用し、教会と共に引き継いだ、ある物は壊れた洗面台の天板、ある物は多分と葬式に使った断片を小さな浴室の床張りに使ったことである。それは本当の大理石の床という、私の生涯で品の無い仕上げの代表として印象的である。
 これら教会で繰り広げられた私の装飾冒険の喜びは個人的な実験であり、伸び伸びと、完全に私の思いと楽しみのままに行ったものである。しかし私はいつも他の人たちは失敗することなく結果をエンジョイ出来ればと思っている。もしも他の人々の人生がいくら刺激的になり、私が周りの丘同様に教会の中で使った色達から何かを得られれば、素晴らしいことである。

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